50年前のミスアメリカが語る、ミスコンテストの歓び
ミスアメリカは今年で100周年を迎えます。
1921年に第一回を開催しています。考えてみれば、すごいことですね。1921年といえば日本では大正10年です。
大正時代にミスコンテストを開催していたわけで、当時の日本社会のようすを想像してみれば、開放的でさすがは「自由の国」を称するだけあります。
それを記念して、50年前1970年度ミスアメリカだったPamela Anne Eldredパメラ・エルドレッドさんが、今年の審査員として参加しています。
パメラさんの当時の写真です。
パメラ・エルドレッド
パメラさんは、バレリーナとして舞台に立つことを夢見て、日々練習に励んていましたが、ケガをしてバレリーナの道を諦めざるをえなくなり、新しい夢を探していたところ、ミスアメリカに目を止めたのだとか。
当時、障害のある妹がいて、賞金も欲しかったと率直に言っています。
夢を諦めざるをえなくなっても、新しい夢を探し求める。アグレッシブな方ですね。
当時のことをいろいろと話してくれています。当時は水着審査は必須でしたが、それを嫌がって出場しない人もいたとか。パメラさんは「水着は全く嫌ではなかった」と言っています。
また、当時からミスコン反対の声はあり、会場の外ではデモまで起きていたらしいです。
パメラさんは「今のミスアメリカは、自分たちの頃とは全く違っている」と、言っていますね。
昔のミスコンテストは、今なら考えられないエピソードがあったようです。
1935年のミスアメリカになったHenrietta Leaverヘンリエッタ・リーバーさんは、選ばれた後で、どこかの彫刻家が顔だけ彼女に似せたヌードの彫刻を、勝手に作ってしまい、大騒ぎになってしまいました。
当時は肖像権などという概念は無かったのでしょう。
真ん中がヘンリエッタさん。
21世紀に入ると、社会的な問題について発言するミスも、普通のこととなりました。
2000年のミスアメリカ、Heather French ヘザー・フレンチさん。彼女の父は負傷帰還兵でした。戦場に行って負傷し、帰国してからも重い後遺症に悩まされていたのです。
ヘザーさんは、ミスアメリカになった後、自らの経験から負傷した帰還兵に対して、必要な保障がなされるように訴えました。
ミスアメリカの訴えは、大きな反響を呼び、米連邦議会で必要な法律が制定されました。
ヘザー・フレンチさん。
2021年の今は、世界的にSDGsについて発言するミスも多いですね。
最初に出てきた、パメラ・エルドレッドさんは、自らのミス体験を振り返って言っています。
ミスになったのは素晴らしい体験だった。「ミスアメリカだった1年間は、夢だったのではないかと思ってしまう。」とも。
ミスアメリカは、彼女の人生の最高で時間だったのでしょう。