50年前のミスアメリカが語る、ミスコンテストの歓び | 日本ミスコンテスト協会

ブログ

50年前のミスアメリカが語る、ミスコンテストの歓び

カテゴリ: お知らせ 作成日:2021年10月25日(月)

 

ミスアメリカは今年で100周年を迎えます。

1921年に第一回を開催しています。考えてみれば、すごいことですね。1921年といえば日本では大正10年です。

大正時代にミスコンテストを開催していたわけで、当時の日本社会のようすを想像してみれば、開放的でさすがは「自由の国」を称するだけあります。

ミスアメリカ 2

それを記念して、50年前1970年度ミスアメリカだったPamela Anne Eldredパメラ・エルドレッドさんが、今年の審査員として参加しています。

パメラさんの当時の写真です。

 

パメラ・エルドレッド

ミスアメリカ 7 パメラエルドレッド

 

 

 ミスアメリカ 1 パメラエルドレッド1970年のミスアメリカ

パメラさんは、バレリーナとして舞台に立つことを夢見て、日々練習に励んていましたが、ケガをしてバレリーナの道を諦めざるをえなくなり、新しい夢を探していたところ、ミスアメリカに目を止めたのだとか。

当時、障害のある妹がいて、賞金も欲しかったと率直に言っています。

 

 

夢を諦めざるをえなくなっても、新しい夢を探し求める。アグレッシブな方ですね。

 

 

当時のことをいろいろと話してくれています。当時は水着審査は必須でしたが、それを嫌がって出場しない人もいたとか。パメラさんは「水着は全く嫌ではなかった」と言っています。

また、当時からミスコン反対の声はあり、会場の外ではデモまで起きていたらしいです。

パメラさんは「今のミスアメリカは、自分たちの頃とは全く違っている」と、言っていますね。

 ミスアメリカ 12

昔のミスコンテストは、今なら考えられないエピソードがあったようです。

 

 

1935年のミスアメリカになったHenrietta Leaverヘンリエッタ・リーバーさんは、選ばれた後で、どこかの彫刻家が顔だけ彼女に似せたヌードの彫刻を、勝手に作ってしまい、大騒ぎになってしまいました。

当時は肖像権などという概念は無かったのでしょう。

 

 

真ん中がヘンリエッタさん。

 ミスアメリカ 6 ヘンリエッタ

21世紀に入ると、社会的な問題について発言するミスも、普通のこととなりました。

 

 

2000年のミスアメリカ、Heather French ヘザー・フレンチさん。彼女の父は負傷帰還兵でした。戦場に行って負傷し、帰国してからも重い後遺症に悩まされていたのです。

ヘザーさんは、ミスアメリカになった後、自らの経験から負傷した帰還兵に対して、必要な保障がなされるように訴えました。

ミスアメリカの訴えは、大きな反響を呼び、米連邦議会で必要な法律が制定されました。

 

 

ヘザー・フレンチさん。

 ミスアメリカ 9 ヘザーフレンチ

 

 

ミスアメリカ 10 ヘザーフレンチ

2021年の今は、世界的にSDGsについて発言するミスも多いですね。

最初に出てきた、パメラ・エルドレッドさんは、自らのミス体験を振り返って言っています。

ミスになったのは素晴らしい体験だった。「ミスアメリカだった1年間は、夢だったのではないかと思ってしまう。」とも。

ミスアメリカは、彼女の人生の最高で時間だったのでしょう。

 

 

ミスアメリカ 8 パメラ

  • お問い合わせ
  • 応募フォーム

Copyright © MissContest Garden All Rights Reserved. login