コロナの間でも続いていた、ミス京都・京都コレクション
新型コロナの流行も、いよいよ終わりという雰囲気になってきました。マスクを着けている人も、徐々に減っています。
この流行の中、ミスコンテストは大きな影響を受けました。
全国規模のミスコンテストは、形式をオンラインに変えたりしても継続した例が多いですが、地方ミスコンテストは甚大なダメージを受けました。
新型コロナの最中に、募集停止になったまま、現在でも再開していない例もみられます。早く再開することを期待したいですね。
そんな中、このミス京都・京都コレクションは、新型コロナの期間でもずっと継続していたようです。
京都といえば、日本三大美人地域と言われ、福岡・秋田といっしょに筆頭に挙げられる土地柄です。
ここでミスコンテストが行われないとすれば、残念なことになります。
また大学の多い学生の街でもあり、若い女性も多い都市です。
そのせいというわけではないでしょうが、ずっと京都コレクションは開催されていました。
ミスコンテストのテーマとして、学生の応援を挙げているので、出場者は学生がほとんどのようです。ただし、学生以外でも応募できるのかは、直接問い合わせてみてください。
出場者は、京都にこだわらないようで、他地方や海外の大学に在学している人も、出場しています。
コンテストでは、ビューティキャンプ(研修会)や水着審査もしっかり行うようで、かなりフォーマルなミスコンテスですね。
ミス京都(京都コレクション)に続いて、全国の地方ミスコンテストもふたたび再起動してもらいたいと願っています。
ミスユニバースの募集・応募条件が大きく変更される。疑問の声も。
ミスユニバース機構のCEO(最高運営責任者)が交代したことは、先日このブログでお伝えしました。
新しい以下が、新しいCEOのAnne Jakapong Jakrajutatip(アン・ジャカポン・ジャクラジュタティップ)さん。タイの実業家です。
この方は、性転換した元男性の女性です。
予想はされていましたが、ミスユニバースの募集・応募条件が大きく変更になりました。
まず、ジャクラジュタティップCEOのアイデンティティに従い、性転換した元男性の女性でも応募可能となりました。
実はミスユニバースは2013年から、トランスジェンダーの女性には門戸を開放していました。
さらに今回の変更で、既婚者や子供のいる女性でも応募可能となります。
既婚者と子供のいる女性の条件が分けられているのは、ヨーロッパなどでは独身で出産する女性が、今では少なくないからでもあります。
時代の変化ですね。
考えてみれば、ミスコンテスト自体が大きな時代の変化の象徴でした。
ミスコンテストの始まりは諸説ありますが、古代ギリシャの時代にはもう行われていたようですし、日本でも平安時代にはそれに類することも行われていました。
近代のミスコンテストの始まりは、1921年にアメリカで始まったミスアメリカでは、という説が有力です。
この時代は、女性に対して保守的な価値観もあり、女性がみずからの美しさを誇るというイベント。さらに水着になるなどの行為は、社会的には大きなショックでした。
ミスコンテスト開催そのものが社会の変化だったわけです。
百年たって、ミスコンテストも変化していくのでしょう。
こちらは岸田首相に挨拶に行った時のミスユニバースの日本代表。
しかし、今回のミスユニバースの募集・応募条件の大幅な変更には、批判の声があるのも事実です。
ここまで大きな変更をするのならば、それをミスユニバースでやる必要があるのか、という批判的意見です。
ここまでやるのなら、新しいコンテストを創るべきだったのでは、ということです。
こういう声はむしろ、ミスユニバース出場経験のあるOGたちからも上がっているようです。
伝統あるミスユニバースには、これまでのまま古き良きスタイルを守ってもらいたいという気持ちもあるのでしょう。
これには正解は無いと思います。賛否いろいろあるでしょう。
ただ、ミスコンテストも変化を受け入れなければいけない時代になった、というのは間違いないところでしょうか。
ミスウクライナは今年も開催 ミスロシアは・・・
ミスウクライナが今年も開催されています。
世界の注目を集めるウクライナ戦争。そのさ中でもミスウクライナ2023は開催されています。
Veronika Shchyptsova (ミスウクライナコンテスト委員会の責任者)のコメントです。
わが国に対する軍事的侵略にもかかわらず、全国コンテスト「ミス・ウクライナ」が今年も開催されます。
ミス・ワールドでウクライナを代表する出場者のチームは非常に重要です。なぜなら、それは我が国の戦争にもっと注目を集める別の機会だからです.は「今年のウクライナの勝者には特別な使命があります。コンテストで威厳のある態度で我が国を代表するだけでなく、勇気、不屈の精神、女性の強さ、そして将来への信仰の象徴となることです」と語った。
現在、ウェブで募集が行われているようです。
ミスウクライナコンテストは、今回史上はじめて審査員制を止めて、ウェブ投票で選ぶことにしました。
この状況では、一か所に集まってコンテストを開催するのは難しいのでしょう。
こちらは、今年開されたミスユニバース2023のウクライナ代表
つまり2022年度のミスウクライナの方です。
Viktoria Apanasenko ヴィクトリア・アパナセンコ さん。
一方でミスロシアは、まだ開催情報がありません。
2022年度は開催されましたが。
なのでこの方は、2022年度のミスロシアです。
Анна Линникова アンナ・リンニコワ さん。
ただただ平和なだけのイベントがミスコンテストです。
毎年、当たり前のように開催できる日々を願っています。
ミス香港2022、困難を乗り越えて開催。今年は完全な形で開催に。
およそ3年間続いた、新型コロナ禍もようやく終わりを迎えつつあるようです。
全世界のミスコンテストも大きな影響を受け、大会そのものの中止やイベント中止、またはオンラインでの開催などに変更せざるを得なくなった例もあります。
ようやく、通常の形で開催できるようになりましたが、この3年間で世の中が大きく変わったこともあり、ミスコンテストも変化を迎えています。たとえば、コンテストによってはオンライン開催を原則とするなどです。
今日は、ミス香港・香港小姐競選2022を取り上げます。
昨年、2022年度は盛大ではあるものの、日程は中断・延期をよぎなくされるなど、ミス香港も苦労したようです。
2022年度のミス香港は、林鈺洧さん。準ミスは許子萱さん(写真左)、第3位に梁超怡さん(写真右)
ミス香港は、香港の人たちにとって大きなイベントです。
街が小さいこともあって、コンテスト出場者を知っているという人が、けっこう多かったりするのです。
その人たちがソースとなり、ミス香港ファイナリストの誰々は、芸能人と交際してるだの、高校時代は不良だっただの、いろいろスキャンダルじみた話も飛び交い、それもある意味、ミスコンテストの楽しみ方の一つになっています。
今年のミス香港の林鈺洧・英名Denice Lam・デニス・ラムさん。身長は176cmあり、モデルなどで活躍しています。
彼女のお父上は、俳優の林俊賢・英名Wilson Lam・ウィルソン・ラムさん。1980~90年代にかけて、香港映画界で人気を博した俳優さんです。今は引退して会社を経営しているようですね。
香港映画界は、1980~90年代は黄金時代でした。
今の韓国芸能界のような感じ、いや、それ以上でした。世界的に香港映画のブランドは確立され、今では中国を代表する俳優となっている、ジャッキー・チェンなどが活躍してたもの。
ハリウッドに進出した俳優も多く、ウィルソン・ラムもジャッキー・チェンには及ばないですが、テレビ・映画などで主役を務め、日本でも知られた俳優でした。たしか日本のドラマに出演したこともあったと思います。
ウィルソン・ラムは、1987年にミス香港のプレゼンターを務めたこともあり、娘がミス香港に選ばれたことは、感慨深いものがあるでしょう。
昨年のミス香港は、ファイナリストの中で新型コロナのクラスターが発生したりして、大会を延期せざるを得なくなったりと、大変な年でした。
今年は、きっとコロナ以前の通り、盛大に実施されると思います。
写真は2020年度のミス香港
世界ミス・ユニバース機構の新CEOは、初の「元男性の」女性
2022年10月27日。バンコクからのプレスリリースでは、Miss Universe Organization・世界ミス・ユニバース機構 はタイのグローバル企業、JKNグローバル・グループに買収されました。
これにより、Miss Universe Organization・世界ミス・ユニバース機構の新CEO(最高責任者)には、同企業のCEOであるAnne Jakapong Jakrajutatip(アン・ジャカポン・ジャクラジュタティップ)氏が就任します。
Anne Jakapong Jakrajutatipさん。Miss Universe Organization・世界ミス・ユニバース機構として初の女性CEOとなります。
きれいな方ですね。
実はこの方、元男性です。つまり性転換したトランスジェンダーです。
経営者として成功し、トランスジェンダーとしてはアジア1の富豪と呼ばれています。
中華系タイ人の家庭に、5人兄弟の長男として生まれました。実家はバンコクでいくつもの会社を経営する実業家の一家。
成長して男子校に通いましたが、その頃から自分の性について、女性であるというアイデンティティを持つようになっていたと言っています。
高校はオーストラリア、大学はアメリカの大学に通い、帰国後は父の事業のうちレンタルビデオチェーンを任され事業を拡大。今ではJKNグローバル・グループとして、コンテンツ事業、化粧品事業などタイ屈指の総合エンタテイメント企業グループに成長させました。
そして今回のMiss Universe Organization・世界ミス・ユニバース機構買収に至ったわけです。
なかなかのやり手ですね。
同時に性転換手術を受けて、晴れて念願の女性となりました。
今では、結婚されお子さんも2人いらっしゃいます。
タイはトランスジェンダーや同性愛などに寛容なお国柄として知られています。
ミスニューハーフコンテスト。出場者は肉体的には男性か、性転換した元男性です。
日本ではミスおかまコンテストなどと揶揄する向きもありますが、当地では立派なミスコンテストです。
となると、今後ミス・ユニバースもトランスジェンダーに門戸を開く可能性もあります。いや新CEOのAnne Jakapong Jakrajutatip氏のアイデンティティからすれば、当然そうなるでしょう。
世界中の女性たちの憧れであり、名誉でもあるミス・ユニバースも、時代の変化を受け入れていくことになるのでしょうか。
これは1960年のミスユニバース世界大会。優勝は日本代表の児島明子さん。
ちなみに、今回買収した機構には、ミスUSA(アメリカ代表)と、ミス・ティーンUSAの開催権も所属したままのようです。
タイの会社がアメリカ国内のミスコンテストを開催するというのは、ちょっと難しい気もします。
今後、新しいプレスリリースがあるかもしれません。
ミスUSA(アメリカ代表選出大会)
ミス・ティーンUSA
ヒジャブで髪をおおったミス・ナイジェリア
コロナ禍のおかげで、グローバル規模で甚大な影響を受けたミスコンテスト。
2022年に入って収束傾向の中、再開しつつあります。
この方はミスナイジェリア。Shatu Garkoさん。2021年度、第44代のミスナイジェリアです。年齢は18歳とか。
頭に巻いているのはヒジャブというもの。イスラム女性ならば巻いている人が多く、日本でもイスラム系の人が付けているのを見ることがあります。
イスラムの伝統で、女性は髪を隠すものとされていて、これを巻いているのです。
なお、ナイジェリアはアフリカの中央部にある国。人口は約2億人で、その半数はイスラム教徒と言われています。
実は、Shatu Garkoさんはこのヒジャブのモデルをの仕事をしているとか。ヒジャブも皆同じではなく、ファッションの要素があるようで、彼女はそのモデルなのです。
なので、Shatu Garkoさんは、ヒジャブを付けてミスナイジェリアに出場することにこだわったのです。
しかし、ミスナイジェリア事務局はヒジャブを着用しての出場に、難色を示したらしい。まあ、ヘアスタイルも女性の美しさの要素のひとつです。ヒジャブを着用したまま出場するなど、そもそも想定していなかったのでしょう。
これが2021年度のミスナイジェリア・ファイナリスト。誰もヒジャブなどつけていません。
しかし、Shatu Garkoさんはヒジャブにこだわりました。
ヒジャブはイスラム女性のシンボルであり、それを付けていても十分に美しいはずだと思ったのです。
そして見事にミスナイジェリアに選ばれました。
素晴らしいですね。
女性の美しさはさまざま。ドレスと水着、民族衣装ばかりではないということでしょう。
ちなみにこれがヒジャブをつけていないShatu Garkoさん。これはこれで美しい姿ですね。
ミスロシアとミスウクライナは、戦ってほしくない。
突然始まったロシアによるウクライナ侵攻。今後、どう展開していくのか
この記事を書いている時点では、全く予想がつきません。
Miss Contest Gadenでは、この戦争からちょっと、いや、かなり外れて、
両国のミスコンテストについて紹介してみます。
ロシアもウクライナも美女大国として知られ、自らもそう感じているようです。
ロシアのあるアンケートによると、ロシア人男性に対して、
世界一美しいのはどこの国の女性か、と聞いたところ、9割がロシア人と答えたとか。
これは自国びいきと言うより、外国を旅行してみて、やはり世界一の美人はロシアだと
感じたのでしょうか。
ウクライナではそういう調査は聞いたことがありませんが、やはりウクライナも
美しい女性の多い国です。
こちらはミスロシア
こちらがミスウクライナ
日本人のある評論家(もちん男性)が、「美人同士が戦うのはよくない。」と言っていました。
そういう問題ではないと思いますがw ここでは両国のミスを紹介します。
ミスユニバース ロシア代表 2019年度
Alina Sanko さん。
ミスユニバース ロシア代表 2021年度
Ralina Arabovaさん。
こちらはミスワールド・ロシア、2018年度の出場者。
Natalya Stroeva さん。
見ての通り、アジア人ぽいですね。日本人だと言っても通りそうな感じです。
そのようで、彼女はサハ共和国出身とのこと。サハ共和国とは、シベリアにある自治区域で、住んでいるのはほとんどがアジア系のヤクート人です。
ロシアは東西に広く、その国土の2/3はシベリア、つまりアジアにあります。なのでロシア人の中には一定数のアジア系ロシア人がいるのです。
ロシア連邦は公式には、国民を人種で区別することはしないとしているので、ヨーロッパ系アジア系と分けた調査は無いようですが、だいたい1割ほどはアジア系のロシア人だと言われています。
そしてこちらミスウクライナ
ウクライナは自らをヨーロッパの東の端にある国としているので、
ロシアとは違い、彼女たちの中にアジア系は見えないようですね。
少し古いですが、2008年のミスウクライナ。Iryna Zhuravskaさん。
18歳ということもあり、幼い感じがあります。
こうしてみると、アジア系のミスのいるロシアと、幼い感じのミスを選ぶウクライナ。違いが見える気もします。
それでもロシアとウクライナは長い国境を接する隣国同士。こんなことになる前は、両国のミスは仲がよかったのです。
並んで談笑するミスロシアとミスウクライナ。
こちらはミスロシアとミスウクライナの2ショット自撮り。
それが今ではこんなことに。
日本でも話題になった。戦闘服姿のミスウクライナ。ウクライナはジェンダー平等が進んでいて、兵士にも女性はかなりいます。
率直に言って戦闘服は似合いませんね。やはりドレスのほうが魅力的。そう思いませんか。
前に「美人同士が戦うのはよくない」と言った男性の言葉を紹介して、ちょっと苦笑して見せましたが、
本当にそう思えてきます。
一日も早い平和を。
ミスアメリカが100周年を迎えて、ますます盛大に開催。
ミスアメリカが100周年を迎えました。
ここ2年ほどの新型コロナの影響で、ミスコンテスト全般に、1か所に集まる大会としての開催が難しくなったり、一部にはミスコンテストに疑問を呈する声もあったりします。
そんな声もよそに、ミスアメリカはますます盛大に行われました。
URL_ ミスアメリカ 2022
ミスアメリカの第一回は1921年、ニュージャージー州アトランティックシティで開催されました。
アトランティックシティとは、日本ではあまりなじみの無い都市ですが、ニューヨーク、フィラデルフィアの大都市圏から遠くない、近場のリゾート地として知られています。
日本で言うなら湘南あたりのイメージでしょうか。
初代ミスアメリカ、 マーガレット・ゴーマンさん。
ミスメリカは、中止になったことがほとんど無いミスコンテストとしても知られています。
どんな大事件のさなかでも、開催されてきました。
こちらは、1944年ミスアメリカ。Venus Ramey ヴィーナス・ラメイ さん。
この年は、いうまでも無く第二次世界大戦たけなわの時期です。そのせいなのか、手に持っている星条旗が、心なしか大きく見えます。
ラメイさんは、2017年にお亡くなりになりましたが、それまで元気に活躍されていたとか。
2002年のミスアメリカは、Katie Harman ケイティ・ハーマン さん。
この年は、言うまでもなく911テロ事件のあった年です。ミスアメリカ大会は、テロ事件の直後に開催されましたが、中止という判断はされませんでした。
ちなみに、911テロ事件は2001年に起きたので、この年に選ばれたミスアメリカは2002年度ということになります。
Katie Harman ケイティ・ハーマン さん。
今は結婚されて、子供も2人いらっしゃるようですね。下の子は女の子で、大人になったらミスアメリカに出場するんでしょうか。
実のところ、ミスアメリかは一度も中止が無かったわけではないのですが、その理由は、むしろテレビ局の権利に関するトラブルなどです。
どんなにアメリカを揺るがすような時代でも、必ず開催されました。
ミスアメリカは、自由と人権を尊ぶアメリカの精神を象徴するコンテスト。国を挙げてといっても言い過ぎではない大イベントです。
また、ミスアメリカは副賞の賞金のことを、Scholarship 奨学金と呼びます。
これは、ミスアメリカの出場資格を学生に限るものではないのですが、まだ若いミスたちのさらなる成長を願って、という意味があるのでしょう。
ミスアメリカのScholarship 授与。
この大イベントは、アメリカの軍隊も全面協力します。これはアメリカ空軍基地を訪問した時のショット。後ろにあるのはアメリカ空軍のVIP輸送機です。
そして今年も盛大に開催されました。
2022年度のミスアメリカ。Emma Broyles エマ・ブロイレスさん。
2021年のミスユニバース世界大会は、盛大に開催されました。
2021年12月12日、イスラエルで例年通りミスユニバース世界大会が開催されました。
ミスユニバース世界大会 イスラエル大会
開催地は、イスラエルの紅海に面した港町エイラート。あまりなじみのない都市ですが、イスラエルの都市では唯一・紅海に面した街で、リゾート地でもあります。
もう去年になりますが、2021年のミスユニバース大会はさまざまな意味で話題になった大会になりました。
まず、新型コロナを克服して、各国代表が一か所に集合してのページェントとなったこと。
この写真は、イスラエルの「首都」エルサレムでの写真ですが、マスクをしているものの数十人が集合している写真で、こんなことが出来なかった、ここ2年ほどの状態を思うと、やっとここまできたかという感じです。
また、今までイスラエルでミスコンテスト世界大会が行われても、参加できなかった国から代表が来ました。
現在のイスラエルは、いくつかのアラブ諸国と国交を結んでいます。アラブ首長国連邦、バーレーン、モロッコ。
イスラエルとアラブ諸国は犬猿の仲で、今でも国交など結んでいない国がほとんどですが、それでも徐々によい方向に向かっている。その象徴ともいえるのがアラブ諸国代表なのでしょう。
まずモロッコ代表。Kawtar Benhalima さん。
次にバーレーン代表。 Manar Nadeem Deyani さん。
アラブ首長国連邦は、新型コロナを警戒して、今回は代表を送るのを断念したとのこと。
また、日本については、代表が来ていた変な衣装が話題になりました。
これがそれです。日本では屈辱的だ、などという声も上がりました。
まあ、これをデザインしたイスラエルのデザイナーは、「これは着物ではない。着物をモチーフにしたドレスです。」と言っていますが。
みたところ、着物というよりアニメのイメージに見えます。現代の日本のイメージはアニメですからね。
ちなみに、これはカメルーン代表の衣装。なんというか・・・
このような世界規模の大会には、政治的な影が差すのは、現代という時代の困った状況です。
今回のミスユニバース大会も、イスラエルという国の政治的理由により、代表を送らなかったり、代表者の国の一部の人から非難を浴びるということもあったようです。
国名は書きませんが、ある代表の言葉です。
「何百万人もの女性が世界の舞台に立ち、政府、政治、そして政治的議題ではなく、国民、国、文化を代表することを夢見ています。」
その通りですね。
最期に、今回大会で優勝したのはこの方。インド代表。Harnaaz Sandhu さん。
最近のインドは積極的に世界のミスコンテストに代表を送っていて、いい結果も出しています。
インドはひと昔前には、ミスコンテスト反対運動が起きて、反対派の過激な行動が世界的なニュースになることもありました。
インドもいい方向に向かっているのでしょう。
Harnaaz Sandhu さん
50年前のミスアメリカが語る、ミスコンテストの歓び
ミスアメリカは今年で100周年を迎えます。
1921年に第一回を開催しています。考えてみれば、すごいことですね。1921年といえば日本では大正10年です。
大正時代にミスコンテストを開催していたわけで、当時の日本社会のようすを想像してみれば、開放的でさすがは「自由の国」を称するだけあります。
それを記念して、50年前1970年度ミスアメリカだったPamela Anne Eldredパメラ・エルドレッドさんが、今年の審査員として参加しています。
パメラさんの当時の写真です。
パメラ・エルドレッド
パメラさんは、バレリーナとして舞台に立つことを夢見て、日々練習に励んていましたが、ケガをしてバレリーナの道を諦めざるをえなくなり、新しい夢を探していたところ、ミスアメリカに目を止めたのだとか。
当時、障害のある妹がいて、賞金も欲しかったと率直に言っています。
夢を諦めざるをえなくなっても、新しい夢を探し求める。アグレッシブな方ですね。
当時のことをいろいろと話してくれています。当時は水着審査は必須でしたが、それを嫌がって出場しない人もいたとか。パメラさんは「水着は全く嫌ではなかった」と言っています。
また、当時からミスコン反対の声はあり、会場の外ではデモまで起きていたらしいです。
パメラさんは「今のミスアメリカは、自分たちの頃とは全く違っている」と、言っていますね。
昔のミスコンテストは、今なら考えられないエピソードがあったようです。
1935年のミスアメリカになったHenrietta Leaverヘンリエッタ・リーバーさんは、選ばれた後で、どこかの彫刻家が顔だけ彼女に似せたヌードの彫刻を、勝手に作ってしまい、大騒ぎになってしまいました。
当時は肖像権などという概念は無かったのでしょう。
真ん中がヘンリエッタさん。
21世紀に入ると、社会的な問題について発言するミスも、普通のこととなりました。
2000年のミスアメリカ、Heather French ヘザー・フレンチさん。彼女の父は負傷帰還兵でした。戦場に行って負傷し、帰国してからも重い後遺症に悩まされていたのです。
ヘザーさんは、ミスアメリカになった後、自らの経験から負傷した帰還兵に対して、必要な保障がなされるように訴えました。
ミスアメリカの訴えは、大きな反響を呼び、米連邦議会で必要な法律が制定されました。
ヘザー・フレンチさん。
2021年の今は、世界的にSDGsについて発言するミスも多いですね。
最初に出てきた、パメラ・エルドレッドさんは、自らのミス体験を振り返って言っています。
ミスになったのは素晴らしい体験だった。「ミスアメリカだった1年間は、夢だったのではないかと思ってしまう。」とも。
ミスアメリカは、彼女の人生の最高で時間だったのでしょう。